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礼に始まり礼に終わる

 昨年11月頃から子供が剣道を始めました。昨日も1名増えて、賑やかになってきました。

 剣道は「道」が付くように、単なるスポーツではなく、礼儀と精神鍛練を学ぶことが大切なことです。

 最初は正座をして頭を下げ、「よろしくお願いいたします」を言う言葉から始まります。

 そして最後は、やはり正座をして頭を下げ、「ありがとうございました」と終わります。

 そして、真冬でも裸足で行います。

 毎週水曜日と金曜日の夜7時半からの練習は、付き添いの親も正座して見学します。これも修行です。

 草田先生と山里先生も全く無報酬にも関わらず、子どもたちをとても可愛がっていただき、精一杯に教えていただきます。

 剣道を見ながら、現代の日本が失ったものはこのことではないかと思いました。

 私の仕事でも、他の人と一緒に行った後は、頭を下げて「ご無礼いたしました」と言うことが作法となっています。

 最近、「自分は知らなかった」「自分に責任はない」という言葉をよく耳にします。どうして「自分が悪かった」「自分も悪かった」と言えないのでしょうか。

 「申し訳ありませんでした」「ありがとうございます」「失礼いたしました」「おかげさまで」そのような大切な言葉が、日本人の美徳としての礼を忘れたことで、失われてきたのではないでしょうか。

 さぶみでも、毎週土曜日の夜7時から左鐙公民館裏の弓道場で、弓道が行われています。一矢に全精神を込めて放ちます。

 子どもさんの健全な精神の育成に、弓道や剣道をされるのも良いのかもしれません。

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何苦楚 日々新也 (なにくそ ひびあらたなり)

 世界的な不況の影響で、製造業で働く派遣・請負労働者約40万人が今年3月までに職を失うとの報道が新聞などで伝えられています。また国際労働機関では、世界全体で最悪の場合、失業者が2億3千万人に上るとの予測もあります。

 底の見えない不況が黒雲のように世界を覆っています。

 当町内でも、厚生連の破綻や派遣業のリストラにより失業者が出てくるようです。この不況時に、希少な有資格者以外で、ある程度の年齢での再就職は厳しい困難を伴うと思います。

 しかし、希望をすてないでほしいと願っています。

 大リーグ デビルレイズで活躍する岩村明憲選手は、打撃の師匠であった中西 太打撃コーチから次の言葉を教えられ、岩村選手はこの言葉をずっと支えにして生きてきたそうです。元は名将 三原 脩監督の言葉だそうです。

 何苦楚 日々新也 (なにくそ ひびあらたなり)

 何苦楚 どんなことも苦しむことが礎(いしずえ)となる
 日々新也 どんなことがあっても、新しい日が来る

 考えてみれば、人が生きる礎となっているのは、苦難の時に、苦難を礎として頑張ったということではないでしょうか。

 失業された方も、この苦難を礎として、一生懸命に勉強して資格を取得したり、技術を身につけたり、誰にも負けないような志を持って生きるならば、一歩一歩ではあったとしても、必ずいつか未来が開けてくると思います。

 どんな仕事でも、精一杯力を尽くして生きている人のことは誰か見ているものです。

 「うさぎとかめ」のお話のように、自分は安泰な場所にいると安心している間に、「何苦礎」と生きる人に抜かされているかもしれません。

 左鐙には、自分はわさびを作って生きるのだという志を持って力強く生きている青年もいます。また、農業がやりたいと志を持って厳しい家庭環境の中でも努力して推薦を受けて農林科のある高校に進む中学生もいます。

 志のあるところには、どんな苦難も礎となるのだと思っています。

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降雪

 今年の冬は、よく雪が降ります。昨年はほとんど積雪しなかったので、2代のうちの1台は冬タイヤにしなかったのですが、今年は両方冬タイヤに変えました。

 昨冬、ほとんど雪が降らなかったので、もう地球温暖化で雪は降らなくなるかと思っていましたが、今年は予想に反して今日も降雪が続いています。

 雪が降り積もる景色はとてもきれいです。

 雪は、山にジワリジワリと浸み込み、年中通して川に豊かな水を注ぎ込みます。そして、害虫を駆除する効果もあります。冬に雪が降るということは大切なことなのです。

 今冬に雪が降る原因の一つは、世界的な不況により、地球温暖化による化石燃料の使用が減っていることも原因の一つかなと思っています。

 世界でも有数の企業であるトヨタの大幅な減収減益は、アメリカのサブプライムローンが原因ですが、自動車がどんどん進化した時代から、大きな曲がり角に来ているようにも思います。次は、地球にやさしい燃料電池車や水素燃料車などの環境車が主になってくるようにも思います。

 新聞で、不況の中で森林業に転職する人が増えているという記事を読みました。旧日原町は、営林署を中心とした木材で主たる生計を立ててきました。

 政府も一度失われると元に戻りにくい熱帯雨林の木々を伐採するのではなく、土壌のしっかりしている日本の木材を使うために、保水力を持つ森林の保護のための環境税の徴収や外国産の木材に関税をかけるなどの方法で、もう一度、国内産の木材を見直すならば、雇用や環境保護の観点からもとても良いのではないかとも思います。

 それはさておき、やはり雪の降る風景はとてもきれいです。

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家の中から見える風景です

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子どもたちはそりで遊んでいます。

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家の中から見える樹氷(雪かな?)です

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あけましておめでとうございます…

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、今年は新春から「おめでとう」と言いにくい世情になっています。

 「派遣切り」と言われる企業の期間労働者の解雇など、明日の生活が分からない人のことを思えば、とても「おめでとう」とは言いにくい世情です。

 日本国内では、昨年春に過去最高の収益を出したと自動車会社各社が湧いていたのが嘘のように、一年もたたないうちに、派遣労働者の解雇が相次いでいます。企業を守るために致し方のない企業の理論もあるに違いありません。しかし…

 年末の朝日新聞の天声人語に、吉川栄治の「年寄りを養ったり、女房子供をいとおしんでいたり、みんながそれぞれの生活を持っているのだと思うと、見ているだけで涙が出てくる」という言葉を紹介されていました。

 そのような思いやりの心を失ったのが現代ではないでしょうか。

 「ALWAYS三丁目の夕日」がとてもヒットしたように、お金は無くても、確かな人と人のつながりや思いやりのあった昭和の時代を懐かしんでいるのでしょう。

 時代は、自然を支配し、自然をどんどん消費する中で享受する西洋的な豊かさから、自然との調和の中で「おかげさまで」と生かされていることを喜ぶ東洋的な豊かさに回帰する節目になっているのかもしれません。

 都会では、お金がなければ一日も生きていくことは難しいと思います。フリーター等の方がネットカフェで千円を払って狭い足も伸ばせないような空間で寝ている状況を報道から知ります。

 いつも思うのは、どうして故郷に帰ろうとしないのだろうと思ってしまいます。

 田舎で暮らせば、あまりお金がなくても暮らすことができます。

 実家に帰れば家賃はいりません。空家をほとんどタダ同然の格安で借りることもできますし、周りの田畑で米や野菜を作ることもできます。安心安全の食事もとることもできます。おしゃれやお金をたくさん使っての社交もあまり必要ありません。

 そして、田舎には支えあいの精神がまだ息づいています。困っている人があれば、野菜などを持って行ってあげる優しさもあります。

 お金があれば幸せになるなんてことは幻だと、みんな気付いているはずです。お金で買ったもので、一生涯幸せになれるようなものがあるでしょうか。買っては飽きて捨てるの繰り返しではないでしょうか。逆に、お通夜の晩に兄弟が遺産争いで、兄弟を刺したという事件など、お金が原因の最大の悲劇です。

 時代は、都会を目指す時代から田舎に帰る時代に向かうような気がします。

 みんな、田舎へ帰ろう!

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さぶみでの1年のはじまり

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あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

さぶみの1年はりは潮山八幡宮での篠戸さんの詔、神楽『塩祓』の奉納で始まります。

大みそかから雪が降り出し、この正月も雪景色です。

しんしんと雪がふる静けさの中、本殿での太鼓の音、衣装と畳のすれる音はとてもいいものです。

ちなみに今年は京村兄弟(高校、中学)での奉納でした。

ちょっと話は変わりますが、今年3月、津和野町の学校統廃合の答申が出されてしまします。

廃校の危機から立ち上がった『さぶみの将来を考える会』ですがなんとも状況はよくありません。

手記です。

2年連続清流日本一となった高津川上流の津和野町左鐙へ嫁いで20年がたつ。ここでとれるアユは格別おいしく、全国的に名をはせている。しかし他の中山間地域同様に少子化、過疎化が急激に進み、今春からは保育園は休園となり、小学校も全校正7人にへった。全国的な統廃合の流れに沿い、わが町も本年度中にはその具体案が示されると聞く。

町全体の少子化を考えれば統廃合は必然的なことともいえる。しかし人数の論議のみが優先され、中心部へ統合するのが当たり前とされることに疑問を感じる。便利で合理的な街のまねをするより、子供が育つための豊な自然環境や、地域とのつながり、少人数で異年齢の縦のつながりで育つ、田舎ならではの良さが生きた学校を残すべきだと思う。

そういう学校を切り捨てることは、いじめ、非行、「誰でもよかった」と人を傷つける若者達の心の問題や、農業後継者不足、人口流出など、田舎が抱ええる問題を悪化させるだけではにだろうか。便利な時代だからこそ、スクールバスを逆方向に走らせ、最高の自然環境を子供たちに提供し、田舎の特性をフルに活用した学校を作り上げてほしい。

流れに逆らい、元気よく育つアユのように、都会ではまねのできない、この町ならではの、味のある統廃合を望みたい。故郷の素晴らしさを次世代に伝えたいから・・・・。

京村まゆみ

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