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堪忍すること

 「一寸先は闇」ということわざがあるように、人の人生の一寸先は、時に予想すらできないようなことが起こります。

 昔は、親等から「堪忍して生きなさいよ」と常々言われたものでした。意味は、言葉の通りに「堪え忍ぶこと」と広辞苑にも書いてあります。

 天皇皇后両陛下がご成婚五十年を迎えられたことに関して、朝日新聞の「天声人語」にこのような言葉が書かれていました。

 新美南吉の童話に「でんでんむしのかなしみ」がある。背中の殻に悲しみが詰まっているのに気付いた一匹が、もう生きていられぬと友達に相談する。ところが、みんなの殻も悲しみでいっぱいだった。

 98年、インドであった国際児童図書評議会でのビデオ講演で、皇后さまがこの本に触れた。「自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は、このでんでん虫が、もうなげくのをやめたところで終わっています」

 民間出身の初のお妃として、言葉に余るご苦労もあったろう。静かな笑みの下の悲しみは殻に納め、あるいは陛下と分かち合って歩んでこられた。「よく耐えてくれたと思います」という夫君の感慨が、50年の起伏を物語る。

 他の人の悲しみを感ずることができることがとても大切だと思うことです。 

山林業

 左鐙の横道地区には、かつて営林署があり、とても栄えた地域でした。しかし、山林業の衰退とともに、人口も減っていきました。

 旧日原町は、林業で栄えた町で、昔は「一山一財産」と言われた時代もあり、「山や木を売って子どもを学校へ出した」という話も多々聞きます。

 近年は南方の熱帯雨林の木材が安価で入ってきて国産木材の値崩れを起こしました。しかし、熱帯雨林の土壌は薄く、一度伐採すると再生しにくく、地球の肺と言われる貴重な熱帯雨林を伐採することは、地球の崩壊に結びつきます。世界的に熱帯雨林の伐採を規制する動きになっているようです。

 近年、ロシア産の木材の輸入にも規制がかかっているようであり、国産の木材が再び注目されています。

 枝打ちなど整備した山は二酸化酸素の吸収量も多く、広葉樹林の山は保水力が大きく、天然のダムの役割を果たします。

 環境面からも、山林業が注目される時代だと思いますし、当地の産業再生にも寄与していくのではないかと思っています。

 今の田舎の課題の一つは、若者が働く場所の創設ではないかと思っています。

 左鐙はかつて炭の生産も盛んで、白炭で農林大臣賞を受賞した方もおられます。今も料理屋等に自作の炭を出しておられる方もあります。

 田舎が元気であることが、日本の元気につながっていくように思います。

 みんなで力を合わせて、田舎が元気になるように頑張れたらと思います。  

一隅を照らすもの

 私の仕事が年中で一番忙しい8月で、なおかつ突然のことが多々起こったりして、のどが真っ赤になっても声を出し続けたため、扁桃腺が腫れて発熱して、点滴をして一日休みました。「職業柄、人と触れ合う機会が多いので、念のためにインフルエンザの検査をしてみましょう」と言われて検査をしてみましたが、大丈夫でした。

 皆さまも全国的に新型インフルエンザが流行していますので、うがい手洗いを励行してくださいね。

 そんなこんなで、ブログの更新がまたまた滞ってしまいましたが、HF君が映像も含めてアップしてくれていたので、助かりました。

 仕事で回っていると、帰省されている方々からも、「楽しみに読んでいますよ」という方も多く、頑張って更新しなければとは思っています。

 比叡山を開かれた最澄は、「一隅(いちぐう)を照らすもの、これすなわち国宝なり」という言葉を述べておられます。

 これは、自分の置かれた一隅を照らす者こそ、国の宝であるという意味だと思います。

 代々伝えられてきた田畑やワサビ棚を守る、伝統芸能の神楽を守る、何百年も人々の心の支えとなってきたものを守る、それぞれがそれぞれの持ち場で自分の役割を尽くしていくことが一番大切なのかもしれません。

 仕事の道すがら、早朝に神社の太鼓を叩いて帰られる宮司さんの姿を見たり、一生懸命に畑を耕すお年寄りの姿を見たり、今日の夕食を買いに来られるお客さんのために、一生懸命に魚をさばかれている姿等を見ていました。

 たとえ地味であっても、目立たなくても、メディアに取り上げられなくても、自分の与えられた場所で、こつこつと自分の役割を尽くしていくことの中に、国の宝という意味があるのだと思っています。

皆既日食・部分日食

 中国地方では、昨日の大雨で、防府市では死者も出るほどの災害が出ました。罹災されました方に、衷心よりお見舞い申し上げます。

 さて、今日は全国的に曇天で、46年ぶりの皆既日食(津和野町は部分日食です)が見られるか心配されましたが、ここ津和野町の日原天文台では、平日にもかかわらず、100名を超える多くの方々が来られました。

 今日は全体的に曇天でしたが、ちょうど日食が始まる頃からは、天気にも恵まれ、日原天文台の大型の望遠鏡や日食グラスで、部分日食を見ました。

 下の子どもは「太陽がお月さまになった」と言っていました。

 これが子どもが撮影した映像です。

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日原天文台

 日本環境協会が平成20年度に主催した夏期全国星空継続観察の結果、日原天文台と福井県自然保護センターが24.4等で本州では一番光害が少なく、全国でも二番目に光害が少なかったそうです。ちなみに全国での1位は沖縄県波照間島(24.5等)だったそうです。これはうれしいニュースです。

 私の住む左鐙の畳は、周辺に明かりがとても少ないため(それだけ暗いのですが…)、天文台よりももっと星がよく見えます。天の川も良く見えます。まるで宝石を散りばめたような夜空です。しかし、天文台もとても星がよく見えることには変わりありません。

 悪石島等では皆既日食がみられる7月22日には、日原天文台では部分日食が見られます。観測会を行うそうなので、どうぞ皆様お越しください。天文台の斎藤さんが日食について色々なことを教えていただくと思います。

  はじまり 9時40分 最大食 10時58分 おわり 12時19分

 日食の観測には、専用の日食グラスを使わなければ、目に障害を受ける可能性もあるとのことなので、ご注意ください。

 この天文台の横に、ペンション北斗星があります。ここのご主人は、子どもの通う高校や中学校の陸上のコーチもされており、自慢の料理は、左鐙の京村牧場の黒毛和牛や左鐙のわさび、天然鮎を使われます。手作りのベーコンもあるそうです。

 妻がペンション北斗星の料理のファンで、友だち親子や上の子どもと、卒業や入学などのお祝いの食事に、ペンション北斗星に出かけています。

 津和野の町中には、イタリア料理のポンムスフレがあり、シェフの赤松さんは周辺の学校で味覚の授業(食育)を行っておられます。赤松さんは、2006年に島根県で初めて味覚の授業の指導者の資格を取得されました。地元の食材を使ったイタリア料理は、とても好評です。私も親戚が来た時などには、洋食の場合にはポンムスフレさんに案内します。

 剣道もかつて長石剣道大会で優勝された腕前を持っておられる凄腕の料理人です。

 仕事で全国各地で料理をいただく機会もあるのですが、津和野町内の料理屋さんは全体的に美味しいと思います。山の幸、海の幸、川の幸に恵まれ、料理人の方々も不断の努力をされているのだろうと思います。

 左鐙には料理店はありませんが、鮎、ツガニ、わさび、原木しいたけ、こごみ、タラの芽、行者ニンニク等、山の幸、川の幸がとても豊富なところで、日々、美味しい食材に恵まれています。  

高津川の鮎

 先日、津和野町日原の美加登家で食事をする機会があり、若おかみさんとお話をしていました。

 『ミシュラン東京2009ガイド』が発行されて、その分野で特に美味しい料理を意味する一つ星に選ばれてから、県外からの予約が増えているそうです。

 美加登家さんには、旧来、県外から多くのお客様が来られますが、やはり二年連続清流日本一になり、ミシュランガイドでも東京新橋店「鮎正」が一つ星を受賞したことが大きいのかもしれません。

 ますます高津川の鮎が全国的に注目されていくような気がします。

 ちなみに美加登家さんの鮎の多くは左鐙地区で獲れた鮎です。

 また、先日は、東京から来客があったので、津和野の旅館「原田屋」で、鮎と「あゆかけゴリ(鮎を食べて育つゴリで、とても美味です)」を中心として料理を作っていただきました。

 原田屋は、津和野の鯉の泳ぐ殿町のすぐそばにある小さな旅館ですが、御主人の島田さんが作る料理がとても美味しく、プライベートなお客様をよくお連れします。

 また、高津川の側の日原地区には、他にも鮎料理を作る店が多く、料理店 若松屋さんの料理は評判がとても良いです。長期滞在者などは、泊まりながら鮎やツガニ料理をいただく「ふたば旅館」を利用する方も多くおられます。ふたば旅館の下にあるスナック「美美」は、やさしいみえちゃんが迎えてくれます(リーズナブルです)。

 津和野町に日本一(自称)の鮎を食べにぜひお越しください。

 津和野町内には、温泉まで畳敷きで、おかみさんもとても親切な「津和野観光ホテルわたや」や、まだたくさんのホテル、旅館がありますので、こちらの津和野町内旅館一覧をご覧ください。書ききれなかったので、またいつか書きます。

 さぶみブログが、町内の旅館案内になりました。左鐙で獲れる鮎がとても素晴らしく美味しいことを書きたかったのが、こんな文章になりました。

左鐙小学校校庭芝生化事業

 6月13日(土)に、左鐙小学校校庭に芝を植える作業を、小学校PTAや児童、地域住民の方々がたくさんお集まりいただき、行いました。

 左鐙小学校校庭芝生化事業は、体に負担の少ない芝生を校庭に植え、子どもたちの運動時のけがのリスクの軽減や、運動時の足腰への負担を軽減するために実施することとなりました。

 この事業は、左鐙小学校PTAと左鐙公民館が企画し、左鐙公民館が指定いただきました島根県指定のモデル公民館事業の予算をいただき、実施しました。

 子どもたちのみではなく、高齢者のグランドゴルフや地区民運動会においてもケガや体への負担軽減になるように思います。

 作業の前日には、左鐙公民館主事の藤井隆一さんがトラクターで校庭を掘り起こしていただき、PTAの藤井宏さんや安見真司さんが、羽野さんからいただいた水巻き用のスプリンクラーの設置の準備をされていました。

 当日は、私は仕事が3件も入っており、なおかつ自分の担当する他の行事もあり、相当遅れて少しだけ参加させていただきました。一株だけ植えさせていただきました(申し訳ありませんでした)。

 一面、芝生が植えられ、秋の運動会には一面芝生のグランドで開催できるだろうと楽しみにしています。

 学校と地域が一体となってできることが、左鐙地域の最大の利点だと思います。 

これでいいのだ

 昨年、漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなられた時の葬儀に、タモリさんが弔辞を読まれたのですが、その中で次のような言葉があったそうです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。(タモリさんの弔辞より引用)

 私たちは、「あの人のせいで」とか「あの時ああすればよかった」と後悔して生きたり、「あれが手に入れば幸せになるのに」とか「こうであればもっと良いのに」とないものねだりをして、今を生きるということを忘れています。

 人生には失敗も挫折もあります。また誰でも欠点も短所も長所もあります。しかし、どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、すべての出来事、存在をあるがままに受け入れることができた時に、人はどんな状況の中でも生きていくことができると思います。

 私たちは他と比較して、勝っていれば優越感を抱きますし、劣っていれば劣等感を抱きます。しかし、比較の世界は、優越感が一瞬にして劣等感に変わります。比較の世界に本当の安心はないと思います。本当の安心は、「これでいいのだ」と全てを受け入れることができたときに生まれると思います。

 左鐙には専業農家で生きている人が何人もいます。耕地面積の小さい山間の地で農業をすることは大変なことです。しかし、たとえどんなにきつくても、たとえ収入が他と比較して少なかったとしても、自分はこの仕事を生涯のライフワークとして生きていくのだと胸を張って生きている人たちです。

 タモリさんは、弔辞の最後にこのように締めくくられました。

 
 赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。(タモリさんの弔辞より引用) 

敗者の美学

 このブログも多い時には、一日に50人近い方々に見ていただいているようです(ココログ アクセス解析による)。嬉しい思いとがんばって書かなきゃという思いもありますが、基本的には私の仕事の余裕がある時に更新するスタンスです。

 無理して書いても楽しい文章にはなりませんし、気の向くまま書いて行こうと思っております。したがって、更新されない日も多々ありますが、ご容赦ください。

 このブログは、基本的には左鐙地区のあれこれを紹介する文章ですが、その文章の中に、私の思いを少しブレンドしております。

 今日は「敗者の美学」という題で書きます。

 基本的には、勝者は敗者より優れていると考えるのが当たり前でしょう。しかし、あえて負けることが覚悟の上で、自分の美学を貫くことは、勝者以上に美しいと私は思っています。

 全国的な知名度はどうかは分かりませんが、私が歴史上で最も好きな武将は、関ヶ原の合戦で敗れて自害した大谷吉継です。

 この大谷吉継は、豊臣秀吉から「一度、百万の軍勢を預けて自由に指揮させてみたい」と言われたほどの武将であり、官僚としての能力も抜群であり、太閤検地を仕切ったり、兵糧奉行を務めるなど、とても文武を備えた優れた武将でした。

 しかし、ハンセン病を患いました。ある時、秀吉主催のお茶会の時に、吉継が飲んだ茶碗を回して飲む時に、吉継が飲んだ後は、皆お茶を飲んだふりをして口につけなかったそうです。その時の屈辱感は計り知れないほどでした。しかし、石田三成ただ一人、平然として口をつけて茶を飲んだそうです。

 この時、吉継はいつか三成のために命を捧げようと思ったようです。

 聡明な吉継は、徳川家康が次の天下を取ることは分かっており、家康に味方するつもりで城を出ました。そして、途中で石田三成の居城に立ち寄った時に、三成から家康討伐の話を聞きました。吉継は、家康に刃向かうことの愚を三日三晩説きましたが、三成が聞き入れないため、終に命をささげることを決意しました。

 そして、吉継としては勝ち目のないと思われる関ヶ原の合戦で、三成方の西軍に布陣しました。西軍に布陣している吉継を見た徳川家康は驚いたようです。

 優れた軍師であった吉継は、その時には体が不自由であったと言われるが、輿に乗って自軍を指揮し、東軍の藤堂・京極隊と戦い、あらかじめ小早川秀秋の裏切りを予想して600名の兵を割いて、小早川に備えたそうです。

 案の定、裏切った小早川秀秋隊の1万5000名の攻撃を、600名の軍勢で3度にわたって押し返したほどの実力を見せました。

 しかし、小早川の裏切りを見て、寝返った脇坂・赤座・小川・朽木隊から側面攻撃を受けて全滅しました。

 大谷吉継は、勝つあてのない戦で、石田三成との友情を取り、潔く散って行った姿は、自分の保身のみを考える武将が多かった中で、輝くようでした。

 堀江貴文さんがかつて「稼ぐが勝ち」と言われました。しかし、本当にそうでしょうか。稼いで買ったたくさんの物を持っていたり、高級な食事をすることが本当に幸せでしょうか。これを買って一生涯幸せだというものがあるでしょうか。

 あるセレブの婦人は、高級車に乗ってエステに来た時、腕のリストカットの跡を見た店員さんに「心が休まるのはここだけです」と言われたそうです。高級な車も宝石も食事も本当に心満たすものではなかったようです。

 左鐙には、安定した就職の誘いを断り、家業の農業を継いだ若者がいます。

 彼は自分の仕事に誇りを持って輝いて生きています。

 損か得かよりも自分が輝くことができるかどうかが大切なことだと思います。 

グラントワとグランドゴルフツアー

 去る3月9日、補助事業として、左鐙公民館の高齢者学級で、島根県芸術文化センター「グラントワ」に21名が見学に行きました。大ホール、小ホールを舞台から説明を受けながら見学し、美術館見学などを行いました。

 この西日本でも有数の音楽ホールであるグラントワができたおかげで、この地域の人々は、日本でもトップレベルのアーチストの音楽等に触れることができるようになりました。

 中島美嘉やゴスペラーズのコンサートはあったいう間に満席になり、映画「おくりびと」に至っては、販売に人々の行列ができて2回上映予定を2回増やして、中ホールの400席の4上映で合計1,600枚のチケットがあっという間に完売したそうです。

 ホール見学は、普段客席から見る風景の反対の舞台から客席を見渡せ、また違った風景で楽しい見学でした。

 その後、益田駅ビルEAGA2階の日本料理「亀地」でバイキングをいただき、島根県立万葉公園で、グランドゴルフに汗して帰路につきました。

 皆さんは、とても楽しかったようでした。

 デジカメを持参していたのですが、各種支払いや撮影禁止の場所もあり、皆さんと話をしたり、グランドゴルフをやったりして、一枚も写真が撮れませんでした(途中でカメラの存在を忘れていました)。

 今は、子どもの運動会や発表会でも、カメラのファインダーをのぞくことが多くなっています。私もよくファインダーで子どもを追うことに夢中で、生の子どもの姿を見ることがないことも多々あります。

 先日お聞きした話の中で「撮影や録音はテープに取ってあると思って、心に残らないことが多いのです」ということも聞いたことです。

 テープやDVDなどの記録媒体に残すことも大切なのでしょうが、子どもの成長をしっかりと心に刻むことの大切さを思うことです。  

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